三崎 亜記 / 『失われた町』 / 2009-11(2006-11) / 集英社文庫 / B-
原因も理由も不明なまま、住人が、町ごと姿を消してしまう現象が発生していた。 いつ、どこで起きるか分からないこの現象。国にできる対応策は「消滅をなかったことにする」というものだった。 記録から抹消し忘れること。それについて語ることを禁じること。
しかし、かすかな手がかりをもとに抗おうとする人たちがいた。そんな人たちの物語り。
作品自体は悪くないのですが、私が三崎作品に期待している姿とはズレているので低めの評価になりました。
私が三崎亜記を魅力に感じるのは「私たち読者が暮らしている日常生活と地続きにしかみえない小説世界の中に、異様な世界がとても自然な形で食い込んでいる違和感」、そしてそれがえぐり出す「真実のある側面」です。
たとえばデビュー作の『となり町戦争』。
自治体の公共事業として、景気対策の一環として、戦争が行われているという設定。
国家や歴史という観点からみた戦争ではなく、兵隊として参加したときに見える戦争。
正義ではなく生活の水準にある戦争。
裁判員に選ばれるように徴兵され戦闘に参加しご苦労様と帰ってくる戦争。
ここから逆照射される何かにびっくり嬉しく感じました。
というわけで期待に胸を膨らませて読んでみたのですが、本作品は日常生活を離れてファンタジーの世界に足を踏み入れています。
これは作者にとっても冒険・挑戦だったとは思いますし、一定の効果を生んでいることもまた確かなのですが、「日常生活の延長にありえない現象がそしらぬ顔で忍び込んでいる恐怖・違和感」はファンタジーだからそれもアリということになってしまい薄れています。
記録や記憶から抹消することで"なくなったこと"を"なかったこと"にできるのか?
ジョージ・オーウェルの『1984』の主人公が行っていたように、過去の歴史を書き換える作業に生じるほころびが徐々に目に見えぬ支配の体制や法を突き崩していくのか... あるいはまた違和感を違和感として描き続けることによって、書かないことによって表現するのか... などわくわくしながら読み進んでいくと、ドラゴンにまたがった王子様が登場して過去の秘密が語られ... がっくり。
読書中には幻滅を味わいました。
最初からファンタジーとして読めばそれほど悪くはありません。
しかし、ファンタージとしてはそれほど優れた作品でもありません。
飛び道具を使わず、ぎりぎりの緊張感を保ちつつ平穏なラストを迎える、劇的なドラマが展開しないことでかえって静かな感動をゆっくりじっくり味わうことができる、そんな作品を期待しています。
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