小川 洋子 / 『夜明けの縁をさ迷う人々』 / 2010-06 / 角川文庫 / A
小川洋子、円熟の短編集です。
読みながら何度も喜び/悦び/歓びがこみあげてきて、至福の通勤時間になりました。
『博士の愛した数式』や『ミーナの行進』のような"ほのぼの系"ではなくて、『薬指の標本』や『沈黙博物館』の系列に連なる"異次元ワールド系"の作品たちです。
ストーリーにはちょっと危ないものも含まれていて、読書とは「人に言えない習慣、罪深い愉しみ(©高橋源一郎)」という言葉が何度も脳裏をよぎります。
私たちが暮らしているこの日常世界ととてもよく似た、だけど決定的に何かが違う世界を作り出し、その中に目を覆いたくなる、だけど指の隙間から覗き見たくなるシーンを描き出す作者。
まるで手品を見ているよう。あっと驚く。あり得ないと思うけど目の前で起きている。種も仕掛けもあるけど、気持ちよく騙されてうっとりしたい。
甲乙つけ難い作品のなかから一つだけ選ぶとすれば「イービーのかなわぬ望み」。
町一番古い中華料理店。
そのエレベーターの中で生まれ、エレベーターの中で育ち、エレベーターポーイとして過ごしている主人公。Elevator Boy略してE.B.。
ところがその中華料理店が改装のために取り壊されることになった時、E.B.の運命とは。
人が一生をエレベーターの中だけで完結させるというストーリーを、短編とはいえ最初から最後まで描ききってしまう筆さばき。
調律師がピアノを調律している最中であるかのように、F1レーサーが世界グランプリでトップ争いをしている最中であるかのように、E.B.がエレベーターを操作する姿を描く筆さばき。
うっとり。しっとり。ねっとり。じっとり。見事です。
不思議なことに、いくつかの作品で「いしいしんじ」っぽい作風を感じました。これも幸せの理由だったのかもしれません。
磯良一の表紙や扉挿絵もプラスでした。作品世界と高め合っている感じがします。
Amazon.co.jp: 『夜明けの縁をさ迷う人々』