2010年07月31日

[書評] 小川 洋子 / 『夜明けの縁をさ迷う人々』

夜明けの縁をさ迷う人々 小川 洋子 / 『夜明けの縁をさ迷う人々』 / 2010-06 / 角川文庫 / A

小川洋子、円熟の短編集です。
読みながら何度も喜び/悦び/歓びがこみあげてきて、至福の通勤時間になりました。

『博士の愛した数式』や『ミーナの行進』のような"ほのぼの系"ではなくて、『薬指の標本』や『沈黙博物館』の系列に連なる"異次元ワールド系"の作品たちです。
ストーリーにはちょっと危ないものも含まれていて、読書とは「人に言えない習慣、罪深い愉しみ(©高橋源一郎)」という言葉が何度も脳裏をよぎります。

私たちが暮らしているこの日常世界ととてもよく似た、だけど決定的に何かが違う世界を作り出し、その中に目を覆いたくなる、だけど指の隙間から覗き見たくなるシーンを描き出す作者。
まるで手品を見ているよう。あっと驚く。あり得ないと思うけど目の前で起きている。種も仕掛けもあるけど、気持ちよく騙されてうっとりしたい。

甲乙つけ難い作品のなかから一つだけ選ぶとすれば「イービーのかなわぬ望み」。
町一番古い中華料理店。 そのエレベーターの中で生まれ、エレベーターの中で育ち、エレベーターポーイとして過ごしている主人公。Elevator Boy略してE.B.。
ところがその中華料理店が改装のために取り壊されることになった時、E.B.の運命とは。
人が一生をエレベーターの中だけで完結させるというストーリーを、短編とはいえ最初から最後まで描ききってしまう筆さばき。 調律師がピアノを調律している最中であるかのように、F1レーサーが世界グランプリでトップ争いをしている最中であるかのように、E.B.がエレベーターを操作する姿を描く筆さばき。
うっとり。しっとり。ねっとり。じっとり。見事です。

不思議なことに、いくつかの作品で「いしいしんじ」っぽい作風を感じました。これも幸せの理由だったのかもしれません。

磯良一の表紙や扉挿絵もプラスでした。作品世界と高め合っている感じがします。

Amazon.co.jp: 『夜明けの縁をさ迷う人々』

posted by ほんのしおり at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍・雑誌

2010年07月21日

[書評] 伊坂 幸太郎 / 『砂漠』

砂漠 伊坂 幸太郎 / 『砂漠』 / 2010-06(2005-12) / 新潮文庫 / B+

さすが伊坂幸太郎、という満足感とともに読み終えました。

東北大学とおぼしき大学を舞台に、東西南北の漢字が姓に含まれているという理由で麻雀仲間になった4人と+ひとり。
これぞ青春、という甘酸っぱいお話し。 これぞ伊坂ワールド、という巻き込まれ犯罪。

どこまでも軽妙洒脱で、だけど、それでいて地味で大切な何かを正面から肯定する物語。
砂漠に雪を降らせることだって可能なんだという全能感と、自分たちの小ささから逃げも隠れもしない小市民さ。
そういった塩梅のいい作品でした。

Amazon.co.jp: 『砂漠』

posted by ほんのしおり at 07:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍・雑誌

2010年07月13日

[書評] 高橋 源一郎 / 『ペンギン村に陽は落ちて』

ペンギン村に陽は落ちて 高橋 源一郎 / 『ペンギン村に陽は落ちて』 / 2010-06(1989) / ポプラ文庫 / A

読み終わったとき、涙がほろりとこぼれ落ちました。

比喩ではなく、文字通りに、です。

一見、というか実際にも、ふざけたストーリーが満載のこの小説。「ペンギン村に陽は落ちて」の前編/後編の間にサザエさん、ガラスの仮面、キン肉マン、北斗の拳、ドラえもんを元ネタにしたギャグ漫画活字版が収められています。
表題作の間に収録された四編は、少しばかり退屈でした。将来は漫画家になりたいと思っていた私が、小中学生の時に描いていた漫画に似ていたからでしょうか、凡庸で思いつきを書き散らした薄っぺらな感じがします。

ところがところが、『Dr.スランプ』の世界を借景とした表題作が素晴らしいのです。
やむにやまれず書いた感じ、溢れ出る思いを筆に叩きつけている印象、抑えきれぬ情動に追いつかないペンを急き立てている姿。そんな情景がまぶたに浮かびます。

この作品が書かれたのはバブルよりは前で、爛熟の季節だったかと思われます。
そしてこの作品に描かれているのは、その熱に浮か(さ)れつつも、必死で夢が覚めないようにもがいている苦しみです。
胴上げしていて疲れてきたけどやめられないな、わっしょい。
笑いすぎて涙が出てきたはずなのに、なぜか胸が締め付けられるよ、どうして?

この作品が描かれた後、世紀末と新世紀を迎えた私たちの住むこの世界。
でも、この作品に描かれた夢のペンギン村より魅力的になったとは言い難い状況です。 ぺんぎん村に行きたい、例え帰って来れなくなったとしても。そういう魔力引力がうごめいている世界です。

巻末の文庫版あとがきには、谷川俊太郎の「百三歳になったアトム」という詩が引用されています。 これがまた、いい花(華)を添えています。
滅びない存在の悲しさ。人間の(劣化)コピーである悲しさ。
アトムとピーターパンの違いって。
アトムとアラレちゃんの違いって。
・・・

美しくない、壊れやすい、不完全な私たち。
明るくない未来の見通し。今日の繰り返しでしかない明日。
それでも生きていこうと思う気持ち、思わせてくれる家族友人。

何かピント外れに読み込み過ぎのような気もしなくはないのですが、それも本作品の懐の広さゆえということで、久しぶりに静かに深く感動した作品でした。
誰にでもお勧めできる作品ではありませんが、ある種の屈折挫折をくぐり抜けてきた方の心にはズンと響く作品だと思います。

Amazon.co.jp: 『ペンギン村に陽は落ちて』

posted by ほんのしおり at 01:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍・雑誌