2004年10月06日

自然環境と遮断された野菜製造

赤色発光ダイオードの野菜工場で4倍早く収穫 - asahi.com : 社会

「赤色発光ダイオードの野菜工場で4倍早く収穫」という記事を読んだ。
自然光を遮断し水栽培なので土も無いかもしれない。
育てられたのではなく、製造生産された野菜っておいしいのかな。
posted by ほんのしおり at 01:44| Comment(6) | TrackBack(0) | ニュース
この記事へのコメント
わかりにくく、かつ長い「連想ゲーム」ですみません。

以前の『ファスト風土化する日本』のところで、弓木さんが紹介されていた「イタリアの戦争哲学者(!)ポール・ヴィリリオ」というとても魅力的な表現に惹かれて、少し「ヴィリリオ」をNETで調べたらとても面白そうなタイトルの本ばかりだったのですが、なぜかその中で『情報エネルギー化社会―現実空間の解体と速度が作り出す空間』と『瞬間の君臨―リアルタイム世界の構造と人間社会の行方』を翻訳されている「土屋 進」という人が気になり(「瞬間の君臨」という言葉がとてもかっこよかったからかもしれませんが…)、更に調べて行くと、この人は中央大学で教えているらしく、その特別教養講座「速度がもたらす世界の変容」の授業概要・内容と授業スケジュールがとても面白かったのでご紹介します。

授業概要・内容
『現代社会の変貌を、速度技術が作り出す新しい時間から考えます。
 かつて社会を支配していたのは二つの時間でした。一つは地球の自転と公転が生み出す物理的な時間、もう一つは、そういった物理的時間を自由に乗り越える多様で豊かな心理的な時間です。多様で豊かな文化の時間として社会の中に刻まれる心理的時間は、一見、無定型に見えますが、その大部分は、物理的な自然時間に深く根ざしたものでした。
 しかし、「光と闇の交代リズム」あるいはそういった意識が形作るこういった二つの時間は、技術が作り出す時間によって徐々に侵食を受けています。電灯といった人工照明は、夜の中に昼をもたらし、自然時間のリズムや意識を解体しています。
 また飛行機に乗れば、真冬に真夏のハワイに移動することで、季節という自然のリズムや意識を解体できます。とはいえ、こういった時間の変調は、あくまでも物理的自然時間の変形や拡張にすぎませんでした。
 ところが、現代では、時間の性質そのものを全く変えてしまう技術が人間の生活に介入しています。それは電子の光(技術)が作り出す時間です。「光と闇のリズム」という生活の基本を構成する持続時間は、光の速度が作り出す新しい人工照明によって意味を失ってしまいます。なぜなら、新しい「光と闇の秩序」は、もはや自然の秩序を完全に離れてしまうからです。
 ここでは、人間が任意に電子照明を当てたときだけ、あるいはコミュニケーション機器で結ばれたときだけ世界が存在するようになり、人間が電子照明を切ったときには消滅してしまう全く新しい性質の場が生まれるからです。ここでの時間は、持続や変化といったこれまでの時間の性質とは全く異なった様相を帯びてきます。それは人間が、「任意に生み出す」ことのできるものとなり、それまでの時間とは違い、前後の時間(持続)とは無関係に突然生み出されるものであり、前後の因果関係(変化)とは無関係に生み出されるものです。
 こういった時間の変容に伴い、空間の秩序も大きな変化を遂げ、新しい空間が生まれているのが現状です。グローバリズムと呼ばれているものの背後には、こういった世界の基本構成の変化があるわけです。』

授業スケジュール(1)
●現実の姿ー現実とは何か(嘔吐)・芸術に見る現実のとらえ方
リアル/反転 イオネスコ(犀)(授業)ー日常性の亀裂(D・リンチ)
●リアリズム/シュールレアリスム(夢と現実)ー(意識と無意識)
ビンスワンガー/メダルト・ボス(現存在分析)・ラカン(想像界・象徴界・現実界)・ジジェク
●立体派、未来派、抽象構成派(モンドリアン)、フォーヴィズムリアリズム/スーパーリアリズム/ハイパーリアリズムーリアリズムはリアルか
手と眼ー現実の認識・手による認識・眼による認識
●対象となる現実の姿客観的現実とは何か
●空間と時間知覚
知覚の相対性ー速度による知覚空間の変容・知覚の両義性・ゲシュタルト・アフォーダンス・空間と時間の相互転換
●時間
外延的な物理学的時間・心理的な時間・社会的な時間・直線的な時間・円環的な時間・新しい時間ー瞬間が作り出す速度時空・因果性・外と内・表と裏
●物理的現実の再構成
ニュートン・カント的世界とD.ボーム的世界・新しい物理学
●現実と表象
言語と現実ーオグデン・リチャーズ図式
●言語における時間と現実における時間
時制と時間・叙述の時間と現実の時間・象徴主義の手法・パタフィジック
●言語システムと現実
ソシュール言語学と現実・動きと言語
●意識として世界
現象学的な世界把握
●関係論と実体論
世界の存在構造(四肢的存在構造)・分子構造の違いと表象形態の違い
●情報としての世界把握

授業スケジュール(2)
・現代社会における時間と空間
・新しい技術の時間と空間
・速度が作り出す時空
・間接的な光
・新しい透明
・見えるものと見えないもの
・最終的な乗り物
・情報エネルギー
・核抑止政策
・遺伝子操作
・技術の向かう先
・戦争と速度技術
・新しい帝国

あと、こういう鋭い指摘をするヴィリリオがアート(建築)から出発しているのも興味深いところです。
Posted by 松原です。 at 2004年10月07日 09:32
松原さん
非常に面白いコメントありがとうございます。
「人間が任意に電子照明を当てたときだけ、あるいはコミュニケーション機器で結ばれたときだけ世界が存在するようになり、人間が電子照明を切ったときには消滅してしまう」というのは慧眼です。携帯電話についての百聞を凌駕してますね。

ただ、エチケットとして引用元のURLを紹介していただけないでしょうか?
Posted by ほんのしおり at 2004年10月08日 01:49
またまた、長文になりそうです。すみません。

> 携帯電話についての百間を凌駕してますね。

う〜ん…
百間って「内田百けん(百鬼園)」のことでしょうか?
内田百けんは「間抜けの実在に関する文献」くらいしか読んだことがないので見当がつきません。
以前に山さんからお聞きしたような気もしますが…

> ただ、エチケットとして引用元のURLを紹介していただけないでしょうか?

これは「痛いところ」というか「いいところ」を衝かれました。

> この人は中央大学で教えているらしく、その特別教養講座「速度がもたらす世界の変容」の授業概要・内容と授業スケジュールが…

と出自はしめしたのですがURLはあえて省きました。
先日のサプリも同様にあえて名称を伏せました。
「連想ゲーム」もこの一貫です。

というのも、実はこの「速度」の問題とも関係するのですが、最近、あまりにも速く安易に辿り着く「情報」に嫌気がさしてきて、というか、むしろそうすることで反対に自分の好奇心や感性がますます鈍くなってきているような気がして、なるべく仮説を立てていろいろ試行錯誤したり、反対に、目的や制約を一切設けずにブラブラしたりするように心掛けています。(スローフード、スロークローズ、スローライフみたいなものです。)

そうすると、自分が本当に必要とするものならどんなに迂回しても必ず辿り着くし、またそのプロセスで、最初に考えていたこと以上のオマケがついてくるような気がします。

また、ブラブラしていると失敗も多いのですが、その分学習効果が働いて、若い頃はあれだけ素晴らしかった(と自分では思っている)―ある情報が自分にとって本当に必要か否かを見極める「直観」力―がなんとか維持されるように思います。

で、他人にも、いじわるのつもりではないのですが、必要とする人ならヒントさえ示せばオートマティックにゲットしてくれるはずだろうし、必要のない人にまで情報が届いてしまうのは少し畏れ多いような気もして、こんな感じでやってます。

どうですか山さん?受け手としては嫌な感じなのでしょうか?

ちなみに土屋さんの「授業概要・内容及び授業スケジュール」には

中央大学文学部のホームページ
<a href="http://www2.tamacc.chuo-u.ac.jp/literature/" rel="nofollow">http://www2.tamacc.chuo-u.ac.jp/literature/</a>

から、左側のフレーム(と言うのでしょうか?)の『■講義内容(講義要項)』に入り→まんなかあたりの『●こちらから●』→2002年度以降入学生用の右端最上段の『総合教養科目』→『特別教養(13)』もしくは『特別教養(14)』に進んでいただければあります。

面倒であれば

<a href="http://www2.chuo-u.ac.jp/literature/jimu/kougi/data/757.html" rel="nofollow">http://www2.chuo-u.ac.jp/literature/jimu/kougi/data/757.html</a>

で『特別教養(13)』に

<a href="http://www2.chuo-u.ac.jp/literature/jimu/kougi/data/758.html" rel="nofollow">http://www2.chuo-u.ac.jp/literature/jimu/kougi/data/758.html</a>

で『特別教養(14)』に入れます。

それから、土屋進さんの(というか正確にはヴィリリオとの合作というべきでしょうが)「瞬間の君臨」に辿り着いた文章があります。ただの「瞬間の君臨」の解説文なのですが、こちらもイケてます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

瞬間の君臨
リアルタイム世界の構造と人間社会の行方
ポール・ヴィリリオ著 土屋進訳

■訳者による解説全文
 最先端の科学思想を語るヴィリリオが、実は「手の思想家」であると言えば驚くだろうか。事実、多くのメディア・アーティストに影響を与え、またメディア・アーティストの方でも、しばしば言及するのがヴィリリオの名前だ。それは彼がアートの二つの語義(「芸術」と「技術」)の重なる場所で思索を続けているからだ。
 彼の出自をたどれば、このことは自然に了解できるだろう。彼の出発点は建築、すなわち「空間アート」だった。戦後の近代建築は、直交する壁と床によって空間を閉じ、人々の動きや、外部環境とのインターフェイスを遮断する「閉鎖空間」を次々と作り出していった。それはコルビジェですら例外ではない。こういった建築空間に、再び「動き」と人々の「生」を取り戻すために、ヴィリリオは「フォンクション・オブリック(斜め機能)」という概念を提案し、「建築原理」グループを組織する。それは、「大地は平らなところはない」という当たり前の事実を、建築空間に導入するものだった。壁を斜めに配置することによって、外と内の壁は崩れ、壁の両面は、ともに生活空間の内側であり外側であるようになる。斜めの床は、肉体に対して「動き」をアフォードする。さらに曲線を描く床面は・・・
 こういった魅力的な提言にも関わらず、効率的な居住空間を求める戦後の近代建築は、ヴィリリオから実質的な活動の場を奪っていった。そして以降、彼は建築理論家として現代建築に大きな影響を与えるとともに、「自然空間」を解体する建築を背後で支えている世界像を、「知覚」レベルから考察していく。
 まず彼が発見したのは、「時間」と「速度」による「旧世界の解体」だった。「知覚空間」は、すでに「時間」の「加速」によって、「肉体」レベルの知覚空間を破壊していた。実際、飛行機で旅行する人にとって、飛行場を結ぶ「実空間」は、距離と言う「抽象」以外は存在しない。実空間といわれる場に存在していた匂いや色は実体を喪失し、代わりに座席と機内の小さな空間と茫洋とした雲だけが存在するようになる。
 芸術は知覚の最前線だ。それ故こういった現実を前に、アート・シーンは変わらざるを得ない。1960年代末に出現した「ハイパー・リアリズム」は、「写実芸術(リアリズム)」はリアルでないことを逆説的に証明するものだった。
 しかし、さらに決定的な時代が到来する。辛うじて保たれていた時間的な秩序が、「瞬間の君臨」によって解体されてしまうからだ。「光の速度」による瞬時コミュニケーション技術は、かつて神だけに属していた「世界」と「力」を人間にもたらす。実際に私たちは「いつでも」「どこにでも」存在できるようになり、そしてその存在は「肉体」を越え、「エネルギーの及ぶ場」に、「力」にのみ依存するようになるからだ。
 新しい技術によって、私たちは「日本のここ」に居て「パリのそこ」を見ることができるし、語りかけることができる。こういった場の特性は、全く新しい性質を帯びる。すなわち、かつては存在する事物があり、それを表象するものがメディアであった。そして存在しない事物は、「モンタージュ」という技法によって間接的に表象するしかなかった。実体という信仰の上で、世界は堅固に成り立っているように思えたものだ。 しかし瞬間によって生まれる新たな時空では、電磁エネルギーという「力」が離れた場を結びつけた途端「新しい場―現実」が生まれる。 しかしエネルギーが及ばないと、その場は即座に消滅してしまう。ここでは旧来の意味での存在と表象の区別はない。存在か非在かの区別だけが点滅を繰り返すランプのように存在するだけだ。そして実在しない事物は、モンタージュによって間接的に表象されるのではなく、電磁エネルギーの操作によって実際に作り出される。さらに私たちは、このように作り出された場で生まれた世界像(例えばパリの街角に置かれたビデオカメラに写るナマの映像)を、現実のものとして受容し、生活世界の中に組み入れているのだ。
 こういった世界では、人間の肉体は再構成されるようになる。「視覚」を司る眼は、もはや眼球だけに止まらない。遠くに置かれた視覚機械も自己世界を構成する肉体となる。ステラークといった前衛パフォーマンサーが試みているのは、こういった新しい拡張された人間像といえるだろう。さらに重要なのは、私たちが肉眼で見ていた今までの世界像を、私たちは現実の姿と信仰してきたが、それは一つの世界像に過ぎないということをヴィリリオが明らかにしていることだ。
 彼は本書で天文学の最新の理論を取り上げて次のように説明する。人間が天体を観察するとき、光が拡散していく光円錐と呼ばれる境界の外にある世界は見ることができない(なぜなら光円錐の外は、光より速い速度で移動しなければ到達することはできないから)。しかし重力場が光を歪めている現象(アインシュタイン効果)を観察するとき、そこに作用している力は、光円錐の外にある肉眼で見えない重力場を含めた相互作用力によるものなのだ。とするならば、「可視世界」だけを観察しても実際の宇宙を知ることはできないことになる。こうして彼は、重力場による光の屈折という現象そのものを観察することによって天体を知ることができると考え、本書で重力天文学を提唱した。そしてそれは一〇年後に有効な手段であることが実証された。
 彼が考えたのは、事物そのものを現実の基本に置くのでなく、「事物間の現象」を、そしてまた「人間と事物との間の関係」を、言い換えれば表象されたものを本質として捉え直すことだった。ちょうど現代芸術が事物を表象することから離れて、表象の秩序そのものを構成することによって、あるいは主体と事物の間に成立する表象の秩序を構成することによって飛躍を遂げたように。
(土屋進)
●新評論刊 四六上製 236頁 本体2400円 +税 ISBN4-7948-0598-5

引用元URL : <a href="http://www.bekkoame.ne.jp/ro/artpage/virilio/kaisetsu_syunkan.htm" rel="nofollow">http://www.bekkoame.ne.jp/ro/artpage/virilio/kaisetsu_syunkan.htm</a>

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著者紹介■ポ−ル・ヴィリリオ(Paul Virilio)
1932年パリ生まれ。現代の最先端の思想家。
建築家として、1960年代に「不均衡」を建築に取り入れ、現代建築の刷新を図る。「内と外」との分離や、居住空間の静態化をもたらす近代建築に対し、「oblique (斜め)」の空間を作り出し、「動き」を促す新しい空間設計を推進する。
フランス建築批評大賞を受賞したほか、建築大学の学長を務める。
「68年 5月」には活動家として積極的に関与し、オデオン劇場の占拠に加わる。以降、思索に重点を移していく。空間設計の専門家として出発した彼は、「空間が壊れている」現実に直面し、それを「速度」という概念から解き明かしてゆく。
そしてコミュニケーション社会という「光の速度」に到達した今日、「現実」がどのように再編成されるのかを、メディア、美術、文化、技術など幅広い文明批評の観点から解明している。
主な著書に『速度と政治−地政学から時政学へ』(平凡社)、
『情報化爆弾』(産業図書)、『情報エネルギー化社会』(新評論)など。

訳者紹介■土屋 進
中央大学ほか非常勤講師。現代社会、文化、思想に幅広い関心を抱く。主な訳書にP.ヴィリリオ『情報エネルギー化社会』(新評論)、G.デュブッフ『ボージョレ・ワイン物語』(平凡社)、E.ビュフェトー『博物史の謎解き』(心交社)、H.アモン&P.ロトマン『イヴ・モンタン-ぼくの時代』(文藝春秋)など

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*1今回は本文の方にあえてURLを明記しておきます。
*2おまけ : <a href="http://www.bekkoame.ne.jp/ro/artpage/virilio/kaisetsu_energy.htm" rel="nofollow">http://www.bekkoame.ne.jp/ro/artpage/virilio/kaisetsu_energy.htm</a>
Posted by 松原です。 at 2004年10月08日 10:22
追伸

僕のとらえどころのない不安にも似た感覚を、やはりヴィリリオは上手くつかまえていたようです。

彼は『電脳世界―最悪のシナリオへの対応 明日への対話』という本の中で「“速度の増加 ”が招く“世界の老化”」という表現をしているそうです。(本文はまだ読んでいませんが書評ではそう書かれています。)

そしてそれは

「速度の上昇によって文明が進歩したとして、逆に世界は(その速度ゆえ)相対的に矮小化されつつある。ちょうど生物が老化とともに身体が萎び、手足が萎縮し、運動神経が鈍くなるよう、この世界もまたどんどん萎縮していく」と説明されています。

参考:<a href="http://hotwired.goo.ne.jp/cave/work/w19004.html" rel="nofollow">http://hotwired.goo.ne.jp/cave/work/w19004.html</a>

私企業などの、合理化・効率化(=その本質はすべて速度UPの追求です)による、一定レベル以上の規模の拡大や生産性の追求に対して僕が感じる危惧も、まさにこんな感じです。

「動物化する世界」ならぬ「老化する世界」でしょうか?
Posted by 松原です。 at 2004年10月08日 18:39
ごめんなさい。イタリアって書いたけど、ヴィリリオはフランスでした…m(__)m。
あと「野菜製造」関連ですが、なんと「食肉の組織片だけをクローン培養する」って研究も行われてるらしいですよ。つまりスーパーで売ってる肉片みたいのを、まんま工場で造っちゃうわけ。これは「殺生」にならないからいいものなのか? 生命倫理的にどうなんだろ? それにそれっておいしいのかな…?
Posted by 弓木暁火 at 2004年10月09日 05:11
百間は「百聞」の間違いでした。
どうしたら間違えるんだろうか...
Posted by ほんのしおり at 2004年10月17日 15:02
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