
京極 夏彦 / 『陰摩羅鬼の瑕 (文庫) 』 / 2006 / 講談社文庫 / B-
(ネタバレ注意。できるだけ間接的に書いて読んだ人だけに分かるようにしたつもりですが未読で謎解きを楽しみにしている方は読まない方が吉。)
鳥屋敷とよばれる大きな大きな洋館で連続花嫁殺人事件が起きる。もうこれで五人目。どうみても外部の犯行にはみえないのだが、どうみても内部に犯人はいそうもない。誰もが怪しいが誰も動機がない。謎は深まるばかり...
生きること/死ぬこととは何かを、宗教(儒教と仏教と神道)と常識を縦糸に、「今の私」と「記憶が作る私」を横糸に織りなした物語。圧倒的なディテールと蘊蓄はやっぱり健在で夢中になって読んだのだけど、最後の最後でどっちらけ。そんなのあり!? 大きな大きな「瑕」があってがっかり。
全然納得がいかない。家族も友人も知り合いもほとんどいない、学校にも行かない、召使いだけに囲まれて成人した人物が、読書からのみこういう見知を得ることができるだろうか。
私は薫子の肩に手を置いた。
「大丈夫です。心配ありません」
安心させるつもりだったのだが、却って動揺させてしまったかもしれない。情報伝達と意志表示と感情表現は、それぞれ微妙に方法が違うものだ。
そしてできたとしたら、そういう人物がどうして死ぬことを間違えて理解したりするんだろうか。死の反対側にあるセックスは分かってしているのに。
犯人は死の本質を分かってはいたが死という現象を分かっていなかったのだ、と無理矢理自分を納得させたのだけど苦い読後感でした。