2006年12月01日

いじめ自殺の報道について

私はテレビはまったくと言っていいほど見ませんし、新聞も気が向いたらWebで読む程度なのでよく知らなかったのですが、最近いじめ自殺報道が凄まじいことになっているんですね。

池田信夫blog: いじめのニュースはもう沢山だ
のコメント欄で印象的なことばに出会ったので記しておきたいと思います。

2)避けるべきこと
・写真や遺書を公表しない。
・使用された自殺手段の詳細を報道しない。
・自殺の理由を単純化して報道しない。
・自殺の美化やセンセーショナルな報道を避ける。
・宗教的、文化的固定観念を用いて報道しない。

自殺対策支援センターライフリンクに掲載されている 「自殺を予防する自殺事例報道のあり方について」のWHO勧告(2000年)からの抜粋。

どうもここに書かれているべからずが全部行われているようです。

もちろん私も痛ましいいじめ自殺については知っています。
でも、それをじゃんじゃか報道することには強い違和感を感じます。

誰でも思春期には一度は自殺を考えるでしょう。その甘美な響きに心を騒がされるでしょう。「自分が死んだらみんな悲しんでくれるかなぁ」と。
私は文化人類学に「葬式は死んだ人のためではなく死なれた人のためにあるものだ」ということを教わりました。
死一般について哲学的に議論したり、死から抽出した何かを文学という形で世に問うということはあってしかるべきだと思います。公的な死を公的に取り扱う(国葬、社葬、新聞での報道)こともよいと思います。でも、個人的な死を公的に取り扱うべきではないのです。死がまだ生ものである間は。
何回忌という形で徐々に形式化され、死なれた人にとって乾いて初めて広い場所で語ってよいものとなるのです。

私はまだ学生時代の友人の自殺を広い場所では語ることができません。

マスコミ関係者の方、慎んで下さい。お願いします。
posted by ほんのしおり at 01:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき
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