
鈴木 直 / 『輸入学問の功罪 − この翻訳わかりますか?』 / 2007 / ちくま新書 / B+
私も、そしてみなさんも、カント、ヘーゲル、マルクスといった知の巨匠たちに触れてみたいと思い翻訳書を手に取り... そして絶望した覚えがあるかと思います。
ダメだ、全然分からない... orz
本書は「それは逐語訳という翻訳の仕方に問題があるから」ということ、代替案として「逐語訳と意訳の中間に当たる翻訳スタイル」を提案しています。
ま、そこまでならよくある話なんですが、本書はそこからもう一歩踏み込んで「こういった逐語訳によって日本に輸入された学問が権威を持ってしまったことの学問的、社会的な罪」についても描いています。
現在の翻訳スタイルを固定化し、一部の教養書を市場の選別から隔離し、解読困難な翻訳をまるで知的修練のための必要悪のように思いこませてきたメカニズムは、日本の社会、特に文化,教養のあり方全般に思いのほか広範な影響を与えているからだ。(序章 P.11-12)
これが著者の意思表明ですね。
教養のあり方に影響を与えたという部分は,明治の一高(今の東大)や岩波書店につながる文脈の中で読まないとちょっとわからないと思います。私は竹内洋の『教養主義の没落−変わりゆくエリート学生文化』や高田里恵子の『グロテスクな教養』などを読んでいたのでなんとかついていけましたが、ちょっと余計な部分ですね。
一番面白いのは,ジャーナリズムや商業出版と対比しながら、本来は淘汰されるべき難解翻訳書が生き延びてしまった不幸についてのくだりです。学者が市場を無視して権威主義的に正しい翻訳と正しくない翻訳を決めてきたことについて,こう指摘しています。
翻訳を何よりもまず商品と見なし,商品の質を購買者である読者の目から見直し,批判的に検討するという,この視点こそ,後の思想・哲学翻訳に決定的に欠落しているものだ。
「この視点」というのは、高畠素之(1886-1928)の言葉です。高畠は、明治大正時代に「内容に関わらず、依頼された文章を作成したり翻訳したりする」といういわば日本初の、当時としては画期的な編集プロダクションにも所属していました(創立は1910年,明治44年!)。
文章のプロとして市場で売れる文章を、質を落とすことなく追求した高畠と比較して,著者は官製アカデミズムをこてんぱんに批判します。
ご丁寧なことに近世ドイツまでさかのぼって、「訳のわからない難しい言語の理解を試す」ことで自分たちの地位の安定化と権威を守ろうとするエリートを批判します。
こういう姿勢が,せっかく輸入した思想や哲学を民衆から切り離し,根付くチャンスを奪ってしまったのだ,と。ふつうは市民革命などの歴史的体験がないから、と言われる民主主義について、翻訳スタイルからそこまで敷衍するのか...と少々驚きながらも楽しい良本でした(Amazonの書評などを読むとこういった膨らませすぎの部分に対する批判もあるようですが)。
Amazon.co.jp:
『輸入学問の功罪』