2007年06月06日

専門家であること(その二)

以前、専門家であるということを書きました。その続編です。

カフェ・ヒラカワ店主軽薄 - 『街場の中国論』を読む。」に、専門家についての素晴らしい考察があり、紹介したく。

専門性と判断力はほとんど、無関係だと思ったほうがよい。
専門家だからよく知っている、というのはあながち間違っていないでしょう。 でも、専門家であることを自覚していると、逆に「自分が知らないこと」に対して無自覚になる傾向があります。このことの危険性を、するどく指摘しています。

ある意味で、専門性とは期間限定、場所限定の言葉だからだ
これは前回のエントリにも通じるところがあります。 何かに特化しているということは、限定している/限定されているということでもあります。
先日、山形 浩生の 『新教養主義宣言』について「射程と有効期間の長い話しのできる知性だなと思う。それを教養と呼ぶかどうかは別にして。」という一言書評を書いたのですが、やはりこれは教養と呼ぶべきなんでしょうね。

posted by ほんのしおり at 01:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき
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