2009年08月23日

[書評] 福岡 伸一 / 『世界は分けてもわからない』

世界は分けてもわからない (講談社新書) 福岡 伸一 / 『世界は分けてもわからない』 / 2009-06 / 講談社新書 / B+

前著『生物と無生物のあいだ』『できそこないの男たち』に続く科学エッセイ第三弾。
これまた面白かった。
タイトルは漢字をそろえた方がよかったかな。「分けるは分かる」への異義申し立てなのだから。

全体とは部分の足し算ではない。たとえ解像度を上げて「部分」を細かく細かく分析して行ったところで「全体」には到達できない。
これはずっと一貫した著者の主張だし、現代科学の限界に対してその限界に自覚的になろうという戒めでもある。 『生物と無生物のあいだ』では「動的均衡」という概念が提唱されていたけど、今回は「空目(そらめ)」と「時間」、「がん細胞」が加わっている。

空目(そらめ)というのは空耳をもじった概念。ある音(の連なり)がまったく違う音(言葉)に聞こえてしまうことを空耳というけど、聴覚の空耳に相当する視覚の空目もあるんだ、という。
いわゆる目の錯覚もそうだし、意味のないランダムなパターンに人の顔を見いだしてしまうことや、数学的に滑らかなグラデーションにジャンプを見いだす一方でランダムなノイズの混ざったパターンを滑らかと感じることなどを説明してくれる。
かなり洗いモザイクでも絵として認識できる例など挙げつつ、こう指摘する。

ヒトの眼が切り取った「部分」は人工的なものであり、ヒトの認識が見出した「関係」の多くは妄想でしかない。
私たちは見ようと思うものしか見ることができない。そして見たと思っていることも、ある意味ではすべて空目なのである。(p.163)

時間については「動的均衡」とも繋がっていて、顕微鏡などでみた「事実」は時間軸にそった変化を切り捨てたある時点の静的状態でしかないこと、つまり「事実の一側面」でしかないことへの警鐘。
面白いことに、人類が持っているテクノロジーの中で映像を再生できるようになったのは本当にごくごく最近のこと。研究の中で、ミクロの世界で、それが使われるようになったのも本当にごくごく最近のこと。
ある一時点の「状態がどうか」(だけ)ではなくて「ある状態から別の状態への変化がどうか」に意味があるという主張。

がん細胞の話は、福岡さん得意の比喩的な表現方法がかえって「本当かな」と眉唾モノに聞こえてしまって「面白いけど信じがたい」。
曰く、「がん細胞とES細胞は紙一重」。
正常な細胞は分裂し増殖していく時に「周りの空気を読んで」自分がどんな細胞になるのかを知るし一定のペース以上で分裂しないようになる。がん細胞とES細胞は空気を読まないという点で共通しているんだとか。

細胞を足し算したものは果たして生命なのだろうか。細胞を分解していくと分子原子になっちゃうし、宇宙の大きさから見た人間一人は細胞の一つに見えなくもない。 そんな発想で作製された映画も本書には紹介されてます。YouTubeにその映画"Powers of Ten"があるのでリンクしておきます。

Amazon.co.jp: 『世界は分けてもわからない (講談社新書)』

posted by ほんのしおり at 19:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 書籍・雑誌
この記事へのコメント
面白そうなので 読んでみます 名前は知ってるけど一冊も読んでなかったので。映画のリンク 心臓をわしづかみされました。ありがとう
Posted by mouikutu at 2009年08月30日 19:41
mouikutuさん
参考になったようで何よりです。
読んでみての感想もまた聞かせてくださると嬉しいっす。
Posted by ほんのしおり at 2009年08月31日 23:29
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/58326194

この記事へのトラックバック