伊坂 幸太郎 / 『終末のフール』 / 2009-06(2006-03) / 集英社文庫 / B
「もし、自分の余命があとX日だったら」という仮定は多くのドラマや映画、小説のテーマになっているけど、この作品が面白いのは「あと3(8)年」という中途半端に長い(あるいは短い)期間に設定されていること、そしてそれが「人類にとっての」余命でもある点。
さすが伊坂幸太郎、と思わせるいい作品でした。
「8年後に地球に小惑星が衝突し人類は絶滅する」と予告されて5年.当初のパニックも落ち着いてきた仙台郊外の団地が舞台。
どんなに頑張ってもあと3年。じたばたしてもあと3年。
いろいろなものごとがこの動かしようのない重い重い壁の前に空中分解せざるをえない日々。
そんな状況で"無駄な"日常会話を楽しめるんだろうか?
ちっぽけな幸せは見つかるんだろうか?
見つかったとして、救われるんだろうか?
章ごとに語り手がかわってゆくリレー小説の形をとりながら、伊坂幸太郎はうなずく。 Yes。希望はある。
例えば第二章の「太陽のシール」。
妊娠が分かったとして、子供を産むべきなんだろうか?
無事に生まれて育ったとしても3年後には地球が滅びる。
何も知らない今、中絶した方が赤ちゃんも幸せなんじゃないのか?
子供が言葉を覚えたとき、どう説明したらいいんだろうか?
それでも、主人公たちは選ぶ。希望のある方を。
さすがだな、と思ったところ。
小さな希望も小さな絶望も、きっちり描いているところ。
絵に描いたような悪者ではなく、気の小さい/気の良い/気持ちの優しい私の意地悪を見逃さず描いているところ。
一度は混乱した治安が持ち直した理由を「破壊衝動を正義感で正当化する行為を国家が認めたから」と描いているところ。
胸がじんわりあったかくなったり、みぞおちのあたりがひんやりしたり、お尻の穴がむずむずしたり、伊坂ワールドを堪能できます。
リレー小説になっているせいで特定の主人公に感情移入しきれない、ストーリーをぐいぐい読み込んでいけない、というのが欠点と言えば欠点です。 複数視点で書くことで同じ事象が見せる異なる表情(かお)を浮かび上がらせる、という手法のほうが有効なことは分かっているんですが、外伝を読んでみたい気がします。
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