島内 景二 / 『中島敦「山月記伝説」の真実』 / 2009-10 / 文春新書 / C+
『文豪の古典力−漱石・鴎外は源氏を読んだか−』が面白かった、文学探偵こと島内景二が中島敦の『山月記』の真実に迫る。
真実というとちょっと大げさだけど、今回も「文学探偵」よろしくへぇ、なるほど、と思わせる筆運びはさすが。 ただ、ロマンチックすぎるというのか感傷的すぎるというのか、甘くてベタベタしているので一冊まるごと読み通すのは少し骨が折れる。
高校の教科書で出会って、確かに面白かった『山月記』。
本書は、なぜこの作品が高校の教科書の定番になったか、の背景にも迫る。
高校の教科書に初めて登場するのは、意外と古くて昭和二十五年(1950年)。
作品が発表されたのが昭和十六年(1941年)、中島敦が亡くなったのが昭和十七年(1942年)。
その背景には、釘本久春という有力な文学官僚の友情と支えがあった、という。
読んでなるほど。
ここで語られる「友情」という言葉は小説の中でしか読んだことがない類いのもの。
旧制高校で熱く熱く語られたであろう真実や友情を文字通り貫いた「官僚」という物語には感嘆せざるをえない。
先に甘くてベタベタと書いたけれど、応援したくなるのもわかる。
もう一つの大きな「真実」は、「人虎伝」。
『山月記』には種本があって、人が虎になる、昔の友人とばったり出会って云々というお話は当時でもある程度知られている中国古典であったし、一年前の昭和十六年には佐藤春夫がその『人虎伝』を『親友が虎になっていた話』として翻訳/翻案したばかりだった。
皮肉にも、佐藤春夫は芥川賞の選考委員だった翌年、中島敦の作品を(島内の推理では)読まずに落選させている。
そこまで読んで改めて浮かび上がるのは、『山月記』の何があの作品を輝かせているのか、ということ。
プロットやストーリーにはオリジナリティが無い、といっていいのだから。
となると、描き方であり、言葉の選び方であり、推敲という言葉が生み出すであろう何かであったんだろうな、と思いいたる。
ふむ。これはまた「誰でも書ける」とは対極の、小説の一つの形ではありますね。
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