2009年02月24日

[翻訳] 村上春樹のスピーチ「壁と卵」

はじめに - 訳者からの長いまえがき

村上春樹のエルサレム賞の受賞スピーチを翻訳してみました。
理由は二つあります。
最初の、そして最大の理由は、いろいろなとこで紹介されている翻訳のどれを読んでもしっくりこなかったことです。英語を逐語訳的に翻訳しすぎていて、ちっとも村上春樹らしくないのです。
そしてもう一つは、僕の長年の大切な友人がなんと!そのスピーチの場にいて興奮を熱くあつく伝えてくれたから、です。
その思いがちょっとでも伝わればいいな、と思います。 その友人のブログも最後に紹介しておきますので、あわせて読んでみてください。

あと、もう一つ加えるとすれば、いくつかのブログで、このスピーチとスピーチについての感想も取り上げられてはいますが、日本のマスコミの偏った報道のせいで誤解を招いているんではないか、と危惧したからです。ぜひ、全文を読んでみてください。
村上春樹は、けっしてイスラエルだけを非難したわけではありません。「たとえどんなに壁が正しくても、卵を支持する」と言ったんです。
パレスチナ側からの攻撃で命を失ったイスラエル人によりそう、と言ったんです。 急いで付け加えれば、「どんな国家も支持しない」ともはっきり言っています。
村上春樹の指摘した「壁」は政府だけではないんです。本人が「それも一つの比喩ではあるけれど、もっと違うものだ」と念を押しているんですが、報道ではすっぽり抜け落ちてしまったみたいです。

じゃあ、「壁」とは何なのでしょうか。
私(訳者)は、とっても抽象的に、「私たちが正しいと思い、それに依存して思考し、他人を非難するときに使ってしまうもの」くらいの意味だと思います。
内田樹は「ことば」じゃないかと指摘していました。
宗教や文化かもしれないし、良識かもしれない。貨幣かもしれない。過去の自分(の体験)かもしれない。
スピーチを読んで考えていただければ、と思います。

授賞式にも参加したというイスラエル在住の友人に教えてもらったんですが、イスラエルは日本よりよっぽど「言論の自由」があるので、それに、政治批判はもっと激しい言葉でされるので、今回の村上春樹のスピーチも特に政治的に冷たい扱いを受けることはなく、スピーチもスタンディングオベーションや拍手の嵐だったそうです。翌日の新聞の報道も、けしからん調ではなかったとのこと。
とはいえ、村上春樹が出席を決意したのは、そういう予備知識のない状態、日本でテレビや新聞で報道されていたように「勇気あるなぁ」という状態だったと思います。

(謝辞)翻訳のチェックを快く引き受け協力してくださった皆さま、ありがとうございました。感謝します。

では、私の長い前置きはさておき、ご本人のスピーチをどうぞ。
※ なお、文中の小見出しは私(訳者)がつけたものです。

卵と壁

Always on the side of the egg
By Haruki Murakami
壁と卵
村上春樹

嘘の話

I have come to Jerusalem today as a novelist, which is to say as a professional spinner of lies.
僕は今日、小説家としてエルサレムに来ました。
つまり、嘘つきのプロとして、です。

But of course, novelists are not the only ones who tell lies. Politicians do it, too, (sorry, Mr. President), as we all know. Diplomats and military men tell their own kinds of lies on occasion, as do used car salesmen, butchers and builders. The lies of novelists differ from others, however, in that no one criticizes the novelist as immoral for telling them. Indeed, the bigger and better his lies and the more ingeniously he creates them, the more he is likely to be praised by the public and the critics. Why should that be?
もちろん、小説家だけが嘘つきというわけではありませんよ。 みなさんもご存知の通り、政治家も嘘をつきます。(隣にいるペレス大統領に向かって)おっと、大統領に失礼ですね。 外交官や将軍たちも時々嘘をつきますし、中古車のセールスマンだって食肉業者だって建築業者だって嘘をつきます。(訳注:おそらく日本の偽装騒ぎのことを指している)
ただ、小説家の嘘はほかの人たちの嘘とは違うんです。 だれも小説家のことを嘘つき呼ばわりしませんよね。 むしろ、法螺(ほら)が大きければ大きいほど、嘘がうまければうまいほど、読者や批評家たちの評価は高くなるくらいです。
でも、なぜなんでしょう?

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posted by ほんのしおり at 01:41| Comment(2) | TrackBack(3) | 日記・コラム・つぶやき

2008年03月25日

印象に残ったblogの記事

印象に残ったblogの記事。

量は質を変える。simpleA@hatenaより。
ハーバードが選んだ代表的ページたち
アメリカの書籍電子化は、膨大な量の書籍をOCRにかけるとなると精度を上げるためには本のレイアウトのパターン化が必要、という地点まで進んでいるというはなし。
ここまで大規模になると、個々の本の雰囲気とか見た目ではなくて、確率論的に扱う必要がでてくる。from Atom to Bit.
一方で、前者にひきつけて引用されているのがこちら。

文字にすると失われるもの。三上のブログより。
ページは言葉を祝福できるか
ことばはパロールであった。声であった。手書き文字になった。ラングになった。活字になった。コンピュータの世界になりbitになった。
これは、万年筆がはやりはじめたときに「やっぱり毛筆でなければこころは伝わらない」といい、ボールペンがはやりだすと「万年筆でないと」、ワープロになると「手書き」云々、という話と、同じなのだろうか、違うのだろうか。


おなじくsimpleA@hatenaより。
坂東さんに会ってきた
で紹介されていた坂東さんという方のエントリ ウェブ時代をこう生きてみたい
個人のやりたいことと社会のwelfareが結びつくってすばらしいなぁ。

posted by ほんのしおり at 01:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2007年10月25日

Extreme Ironing

isologue: 「エクストリーム株主総会」経由でextreme ironingなるスポーツ(?)があることを知りました。

公式サイトもあります!
説明を読んでびっくり。写真をみてびっくり。

エクストリームアイロニングとは、山や海、川などの厳しい自然環境下において、アイロン台を出し、涼しい顔で平然と服にアイロンを掛けるという、なんともスタイリッシュ(?)な極限的スポーツです。極限でのアイロン掛けを行う場所としては、そこに到達するだけでも厳しい岩肌、海中、山頂、空中(スカイダイビング中など)、激流でのカヌー上、波乗りの最中、スキーの最中、強烈な人混みの中など、とにかく「極限下で」という事が絶対条件となります。

でも、楽しそうです。わはは。

posted by ほんのしおり at 02:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき