2007年02月04日

専門家であるということ


私は自分がある分野において専門家であることを自慢に思っていました。

ところが、そう思うことの危険性をほぼ同時に二つの方法で指摘されました。

うぬぼれてしまわないために、とても大切な視点だと思うので紹介しておきます。



一つは、いつもの京都の勉強会での先生の言葉です。

意訳するとこんな感じでした。


フォードがブルーカラーワーカーの仕事を分業化・単純作業化させたのは皆さんごぞんじでしょう。そして、そのことでフォードが大きく生産性を上げて成長したことも。

では、そのフォードに勝ったGMのスローンが何をしたか、わかりますか?

スローンはホワイトカラーワーカーの仕事を分業化・単純作業化して生産性を上げたのです。

普通、スローンは偉大な経営者として尊敬されていますし、スローンが行ったことはもっと違う文脈で好意的に言及されます(例えば世界各地域史・戦後アメリカ合衆国: 第4回 フォードとGM〜自動車生産から見る経営学)。



言われてみれば、確かに「専門家=高度で特化された仕事に従事する人」はちょっと視点を変えれば「専門家=一つのことしかしない/できない単純作業をする人」でもあり得ます。いわゆる「専門バカ」ですね。


ただ、先生の視点はもうすこし射程が遠くて、「自分はある分野の専門家であるというとき、その分野は誰かがあなたのようなおバカさんでも分かるように、と切り分けてくれた分野でしかない」可能性に自覚的になりなさい、そしてその既存の枠にとらわれてはいけない、というメッセージが含まれていました。



もう一つは、
Radium Software Development: Unskilled and Unaware of Itという記事です。
アメリカで行われた社会心理学の実験結果を紹介していて、


  • 能力の低い者ほど,自己を過大評価する。

  • 能力の非常に高い者は,自己を過小評価する。

  • 人々は大抵,自己を平均よりも少し上であると評価する。


という傾向が得られたこと、自分を「平均より少し上」だと思ったらそれはたいてい間違っているだろうという考察を述べています。



痛てて。

posted by ほんのしおり at 20:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2007年01月27日

インセンティブとモチベーション

一週間ほど前の「池田信夫blog」を読んでいてはっと気がついたのですが、インセンティブとモチベーションって実は正反対のものなんですね。
私自身がきちんと使い分けていなかったのでびっくりしたんですが、確かにその通りです。

ビジネスマンが2ちゃんねるから学ぶべきことより
オープンソースや「ユーザー生成コンテンツ」を支えているのは、金銭的なインセンティヴではなく、ユーザーが情報を提供するモチベーションである。インセンティヴは報酬によって引き上げることができるが、モチベーションを上げる決まった方法はない。個人が情報を生産する目的は多様であり、その成果の尺度も決まっていないからだ。しかし一つだけいえることは、こうした多様な目的を許容する自由度が高いほどモチベーションを高めやすいということだ。だから、なるべくオープンにして参加の障壁を下げることが不可欠である。


■インセンティブ:他人をある地点から別の特定の地点へ連れて行きたいというときの「餌」になるもの。
■モチベーション:自分が今いる地点から別のどこかへ移動したいというときのエネルギーになるもの。

結果的には、お金だったり名誉だったり評判だったり、そういうものはインセンティブにもモチベーションにもなり得ます。でも、動きや働きとしてはまったく正反対なんですね。
インセンティブは pull = 引っ張る力として、モチベーションは push = 押し出す力として、働くんじゃないでしょうか。
これを間違えると
「モチベーションアップのつもりで目標管理制度を導入したら、目標に関係ないことはみんなやらなくなってしまった(インセンティブにしかならなかった)」
という悲劇が起きるんじゃないかと、ひらめきました。

インセンティブで変えることができるのは量だけ。到達点は一点、もしくはその延長線上の一点。どこかで麻痺してしまい、刺激に反応しなく(できなく)なる。
一方、モチベーションは質を変えることができる。到達点はどこになるかも分からない。たぶん、永遠に到達しない。

インセンティブを高めるような仕方で何かをやらせようとすると、短期的にはよくても中長期的には行き詰まるのではないか。そう感じました。
「ゆとり教育」はモチベーションへの導き方を間違ってしまった不幸な事例だと思いますが、入学試験合格、あるいはその先のいい就職というインセンティブはどこかで変えないとやっぱり行き詰まると思います。
posted by ほんのしおり at 23:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2006年12月11日

会話の主導権

先週、会社の研修で「コーチングセミナー」というのを受けてきたのですが、いくつも発見がありました。
行く前の私はコーチングをうさんくさいもの、と思っていました。



「こちらが会話の裏の主導権を握ることで相手(特に部下)の発言を思い通りに動かす心理学の応用」
といったイメージを持っていたためです。その思いは完全になくなったわけではありませんが、とても面白いワークショップで強烈な体験をしました。



  1. 二人組でペアを作り、話し手と聞き手にわかれます。

  2. 話し手は、自分が一番好きなものについて、熱く語ります。

  3. 聞き手は、完全に話し手を無視します。目をつぶったり他のことをしたり微動だにしなかったり。

  4. 次に聞き手は、アイコンタクトとうなずきだけで話し手に応えます。

  5. 最後に聞き手はオープンクエスチョンとか表情とかジェスチャーとか、いろいろなテクニックを使って最高の聞き手になるように意識しながら会話に参加します。


順番に聞き手と話し手の両方を経験したんですが、「相手に無視されたまま話し続けること」のなんと難しいことか。本当にびっくりしますよ。30秒という時間が5分くらいに感じられるし、楽しいことを話していたつもりなのに、砂をかむようなイヤーな感覚に襲われます。
アイコンタクトとうなずきがあるだけでぐっと話しやすくなります。
最後の「最高の聞き手」が相手だと、もう全然違います。こちらはあっという間に時間がきてしまいます。


実は会話の主導権は「聞き手」が持っているんですね。
手応えのない聴衆を相手に話す(例えば講演とか)のとはまたちょっと違いますが、「よい聞き手であること」の大切さ素晴らしさということにあらためて気がつきました。

posted by ほんのしおり at 01:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき