2006年11月05日

続 学ぶ、ということ

先日、内田樹先生の言葉から「学ぶ」ということについて一言書いたのですが、また素晴らしい言葉に出会えたのでメモ。


まずは、勉強会での先生の言葉。(先生の言葉を要約)


縦軸に協力の度合いを、横軸に能力をとって、能力の低い人から高い人へ、周りの人との協力度合いをグラフに描いてみて下さい。どんなカーブになると思いますか?

能力の低い人は、周りと協力します。そうしないと仕事が進みませんから。

能力の高い人も、周りと協力します。そうした方が生産性が高いし、そういうことができるからこそ能力が高いのです。

じゃあ、中間の人はどうかというと、これが一番協力度が低いんです。ある程度自分の能力に自信がつくと何でも自分でできると思ってしまうからです。そして、この層には知識イコール能力だと思っている人が多いんです。こういう人は伸び悩みます。

今回の発表会のテーマは「社内コミュニケーション」でした。社内のコミュニケーションがうまく行かないのはなぜか?どうしたら良くなるのか?という発表でした。まずは先生の痛烈な批判。

情報共有しようといっている人たちの言葉をよく聞いてみると、単に「もっと俺に教えろ」にすぎないことが多いんです。自分から周りに伝えたいのに方法や手段がないといっている人はほとんどいませんよ。

本当にどきっとさせられます。私も約一年前にこの勉強会で『新ネットワーク思考−世界のしくみを読み解く』を読んで「情報は発信するところに集まる」という言葉を知るまではこういう態度でしたから。


それから、ちょっと前の梅田望夫さんのアマチュアとプロフェッショナルの違いについてのブログエントリ。元々はUCバークレーもGoogle Videoで講義を公開し始めたという内容ですが、これによって何が変わるのかという考察を読んでみて下さい。

要約すると、こういった動きで変わるのは「アマチュアであり、偽物のプロである。本物のプロは影響を受けない。」と。その道のプロになるためのプロセスが限定されていた(このエントリに引きつけて言えばプロになるための知識が限定されていた)ことだけでプロになっている人はアマチュアに追いつかれ追い越されますよ、と指摘してます。

My Life Between Silicon Valley and Japan: UCバークレイの授業が無料でGoogle Videoに!!!

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2006年10月27日

学ぶ、ということ

内田センセイのblogにあまりにも心に響く言葉があったのでメモ。

内田 樹の研究室:生徒たちには気の毒だけど より




「学ぶ」というのは、キーワード検索することとは別のことである。

自分が何を知らないかについて知ることである。

自分の知識についての知識をもつことである。

それは「知識をふやす」ということとは違う。


そうなのですよ。会社の若い子が「Googleで調べたけど見つかりません」(だから)「答えはありません」って感じなので気になっていたんですが、そのときは「調べ方を知らない」「Google過信」が根本にあるかと思っていましたが、そうではなくて「学ぶ」ということに対する姿勢というか発想、スタンスが根本にあるんでしょうね。


会社で中途採用の面接をするときにも気をつけています。ついつい「今の時点の知識やスキル」で評価してしまいますが、大切なのは「今、自分は何を知らないかをどれくらい知っているか」とか「過去に知らなかったことをどう学んできたのか」です。そこで好感を持った人は伸びますね。

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2006年09月30日

memento mori

memento mori -- ラテン語で「死を思え」。ちょいと昔にMr. Childrenのタイトルになっていたので知っている方もいらっしゃるかもしれませんね。Wikipediaで調べてみたら、「どうせ死ぬから楽しく生きようよ」という側面もあったようですが、「人はいつか死ぬ」という大前提にたって自らの人生や生き方を振り返る見つめ直すというニュアンスを私は好んでいます。

私がこの言葉を意識するようになったのは2年くらい前でしょうか。京都の勉強会で親しくさせてもらっている方がしばらくの間、なにかにつけ「メメント・モリやて」と言っていたからです。(大阪の方なので本当は名古屋弁ではなくて大阪弁でしたが)

そして偶然に最近出会ったのが、Apple CEOスティーブ・ジョブズのスピーチ。先月Macユーザになり、今まで見向きもしなかった彼の言動に興味が出てきて、そこで知ったのが昨年スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチです。

毎朝鏡に向かって「今日が人生最後の日だったら、自分は今日するはずだったことをやっぱりしたいと思うだろか」と問うてみる。Noという日が何日も続いたら、何かを変えないといけないタイミングということ。

死を覚えること。人生の岐路において重大な選択をするときにはこれが一番の判断基準になっている。

と言っていました。私自身? もう何日もNoという日が続いています。

ということをその京都の知り合いの方に伝えたら嬉しいお返事を頂きました。

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posted by ほんのしおり at 18:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき