2006年09月22日

最近の嬉しかったこと

最近、とても嬉しいことが続いたので幸せをおすそわけします。

■その一:プロとは、プレミアムとは
私はコーヒーが大好きなんですが、自宅でゆっくり味わって飲むのはドイコーヒー、と決めています。
ここは、豆がおいしいのはもちろん、お店の姿勢が素晴らしいんです。
先日、いつものように注文したつもりだったんですが、うっかり「豆の状態」を指定するのを忘れていたようです。普段は「豆のまま」にしているのですが、今回届いたものはすでに挽いた状態でした。そこでメールで
「いつもは豆のまま送っていただいていますが、今回は挽いた状態で送られてきました。私が指定し忘れていたようです。指定しないと挽いた状態になるのでしょうか?(そうであれば次回から気をつけます)」
という問い合わせメールを送りました。「豆の状態:指定してください」と書いてあって、私に落ち度があったことがわかる注文確定メールを引用した上で、です。すると、すぐに
「ほんのしおり様はいつも『豆のまま』なのにすみませんでした。『豆のまま』の商品を改めてお送りしたいと思いますがいかがでしょうか?」
という趣旨のお返事がきました。
「残念ながら指定しないとそうなります。」
という回答がくるかなと思っていたのですが、指定しなかったあんたが悪いというどころか、お客さんのいつもの行動パターンから指定がなかった場合の振る舞いを推測できなかった自分が悪い、という内容です。私の方が面食らいました。ええ、もちろん「ぜひ!」とお願いしましたよ。

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posted by ほんのしおり at 03:01| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2006年09月13日

読書という欲望

M17星雲の光と影さんのブログにコメントしたら、



しかし旺盛な読書欲でばりばり読まれてますね。

というコメントをいただいた。

はっ、とした。

そうか、私にとって読書というのは「欲望」だったのか。


よく「たくさん本を読んでいてすごいですね。」と(当然、お世辞まじりだけれど)ほめられる。これが全然うれしくない。「いえいえ、そんなことないですよ」と謙遜してみせるのだけれど、ちっとも心が喜ばない。やっと理由が分かりましたよ。自分は単に自分の欲望に従っていただけ、だからなんですね。


食欲、睡眠欲、性欲。まあ、性欲はアレですけど、寝食を忘れて読書しているときの楽しさったらないですよ。「そんなにいつも眠っているなんて尊敬します」とか「どうやったらそんなにたくさん食べられるんですか?」と同じなんですよ、はい。


今夜はよく眠れそう。

posted by ほんのしおり at 01:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき

2006年05月06日

きちんと嫌う、ということ

FADさんからご回答を頂き、
Amiciziaさんという方からもコメントを頂いたので、
前回の続きを書いてみたいと思います。


まず、「正確に嫌う」と「きちんと(ちゃんと)嫌う」ことの違いについて私が感じているのは、



「正確に嫌う」

「正しさ」が判断基準になります。客観的なものさしがあり、そのものさしで測っているようなイメージがあります。「誰にとっての」
正しさなのかというやっかいな問題を抱えています。

「きちんと(ちゃんと)嫌う」

「嫌う理由を説明できる、後からたどれる」ことです。納得できるか、つじつまが合っているかどうかは別の問題ですが、
むしろここに関係を切ってしまわない糸口があります。


といったことです。


嫌いな人、嫌われた人と再び関係を結ぼうと思ったとき、「正確に嫌う」修行をしている人との間では「正しい地点へ間違ったほうが歩み寄る」
しかないでしょう。それはほとんどありえないことです。でも、嫌う理由を後からたどれるのであれば、そのどこかで合流できる可能性、
共存できるきっかけを見出せるように思います。

再び相手と関係を持てるか、という視点に立ったとき、これが一番大きな違いです。


それからFADさんの文章ではっとさせられたのは、「自己嫌悪に陥らないためのひとつのフレームワーク」「私の感受性に合わない環境に適応して行くため手段のひとつ」
という言葉です。そうでした。私も中島義道の「毒にあたっ」ていた時期にはこれが大きなテーマでした。


過去形で書いているのは、現在の私の場合は嫌う・嫌われるということ自体からは自己嫌悪には陥らず、いったん、「優越感」
というステップを経るからなのです。

正しく嫌う、は嫌いの正当化と仲良しなのです。嫌うこと、嫌われることの理由を正確に把握できたと思った瞬間に感情が正当化され、
「だから私は正しいのだ」という優越感にすりかわってしまう、 という罠です。優越感に浸っているときには気持ちがいいのですが、
ふと気がつくと周りに誰もいない、そして自己嫌悪、という隘路に陥ります。


私の現在の修行は、FADさんとは逆に感情に名前をつけないでそのまま受け止めようとすること、です。できるだけ脳の外側で、
でも左側だけではなく右側でも受け止めたい、そう思っています。

posted by ほんのしおり at 23:58| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき