2010年09月07日

[書評] 古川 日出男 / 『ハル、ハル、ハル』

ハル、ハル、ハル 古川 日出男 / 『ハル、ハル、ハル』 / 2010-07(2007-07) / 河出文庫 / B-

こちらの気(?)をぐいっとつかんで離さない。ぐいぐい。
振り回す。ぶんぶん。
こちらがしがみこうとすると全力で振りほどこうとする。

いきなり圧力の高いイントロ。

この物語はきみが読んできた全部の物語の続編だ。ノワールでもいい。家族小説でもいい。ただただ疾走しているロード・ノベルでも。いいか。もしも物語がこの現実ってやつを映し出すとしたら。かりにそうだとしたら。そこには種別(ジャンル)なんてないんだよ。
暴力はそこにある。
家族はそこにいる。
きみは永遠にはそこには停(とど)まれない。(p.9)
「きみが読んできた全部の物語の続編」。 なんといういう威勢のよさ。
残念ながら、首を縦に振ることにはためらいを感じる。 「私が書いてきた全部の物語の続編」であれば深く同意するのだけど。

その点だけ除けば、魅力的な作品(中編が三つ)が並んでいる。
映像でしか伝えられないスピード感と文字でしか伝えられない絶望感。 絵でしか伝えられない色彩と文章でしか伝えられない希望(のなさ)。
それをごちゃ混ぜにしてポンと目の前に差し出してくれる筆力は見事。 ウェットな犯罪をドライに。ドライな(心の)交流をウェットに、塗りたくってしまう筆圧は見事々々。

でも、どうしてでしょう。
巧みだとは思うのですが、もう一度手にとりたい、他の人に読んでもらいたいという気持ちがわいてきません。
表題作の「ハル、ハル、ハル」はいいのですが、その他収録作品である「スローモーション」と「8ドッグズ」は後味が悪く、できれば遠ざけておきたいくらいの不吉感です。

Amazon.co.jp: 『ハル、ハル、ハル』

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2010年08月29日

[書評] 南 直哉 / 『老師と少年』

老師と少年 南 直哉 / 『老師と少年』 / 2009-11(2006-10) / 新潮文庫 / B

お坊さんが、「私とは何か? 何のために生きるのか? 死とは何か?」といった少年の切実な質問に応える。

そう、「答える」のではなくて「応える」。

少年の質問に直截こたえているわけではないけど、はぐらかしているわけでもない。
少年の苦しみに同情しているわけでも共感しているわけでもない。
だけど、少年は「私は受け入れられた」と感じる。
「本当の自分」をめぐってかわされる第二夜の対話より。

老「君は会ったこともない人を捜し出すことができるか」
少「できません」(中略)
老「君は『本当の自分』ではない。だから、『本当の自分』はわからない。だから、本当の自分を永遠に知ることはできない。会ったことのない人はさがせない」(中略)
老「なぜなら、『私』という言葉は、確かな内容を持つ言葉ではなく、ただある位置、ある場所を指すにすぎない」
少「その場所はどこですか」
老「『あなた』や『彼』ではないところ、『いま、ここ』だ。『私』はそこについた印なのだ」
少「それだけのこと?」
老「それだけだ。その場所に人は経験を集め、積み上げ、それを物語る」
少「では、『本当の自分』をさがす人はただ愚かなだけですか?」
老「そうだ。しかし、愚かさでしか開けない道もある」
(p.29-34)
(※行頭の「老」「少」は引用者である私がつけ加えたものです)

どちらかというと、少年ではなくて老師の横に身をおいて読んでいたのは、私が年をとったから。

そして、私が親になったから、でもある。
例えば上に引用した「自分探し」。
今となっては、問い自体が消えてしまった。答えが見つかったのではなく、問いそのものに意味や価値を見出しにくくなってしまったから。
親というのは先祖から預かった何かを子に伝えていくための器にすぎない、という思いがある日自然な理解として腹の中に落ちていて、そうしたらいろいろな葛藤(=我利?)がすーっと消えていた。

とは言うものの、悟りを開いたわけでもないので、またいつかこの老師に会いたくなるかもしれません。その日が来て欲しいような欲しくないような気持ちです。

Amazon.co.jp: 『老師と少年』

posted by ほんのしおり at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍・雑誌

2010年08月21日

[写真] 木曽川花火大会

去る8月10日に行われた「日本ライン夏まつり納涼花火大会」の写真です。

義父の仕事場とは目と鼻の先なので、特等席から観賞(撮影)できました。感謝します。

犬山城の望む木曽川の真ん中に船を浮かべて、その船から3000発の花火を打ち上げます。

シャッターを空いている時間が長ければいろいろな種類の花火がたくさん写りますが、逆に露出オーバーや手ブレの危険性も高くなります。三脚を使っていてもブレてしまうことがよくありました。

あと煙。もやもやっとした煙がまとわりついてすっきりしない写真になってしまいますね。

試しにピンぼけ写真を撮ってみました。ちょっと幻想的で面白い写真ができました。

Canon EOS Kiss X2 / TAMRON AF18-270mm F/3.5-6.3 Di II VC LD Aspherical [IF] MACRO (Model B003)

posted by ほんのしおり at 00:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真